栃木県宇都宮市に石の町がある事をみなさんはご存知ですか?
そこは宇都宮市にある大谷町。
大谷町では、昔からそこで採石される石を使っていましたが、本格的に石が採掘されるようになったのは江戸時代後期からのことです。その石を大谷石と呼び、採石の全盛期は昭和30~40年代。
今回はその大谷石について以下のことを調査しました。
- 大谷石とは何か?
- 大谷石の採石場跡地はどうなっている?
大谷石とは?
大谷石は海底火山が爆発した際、噴出された火山灰が海の中に積もって固まったもの。
その誕生は今から約1300万年前、日本海ができたころのことです。
〇大谷石メモ〇
- 種類:緑色凝灰岩
- 特徴:もともと灰でできている為、加工しやすい軟らかさが持ち味で、また火にも強い
- 採掘方法:【平場掘り】と【垣根掘り】の2種類
- 採掘形態:上記の平場掘りと垣根掘りを組み合わせた、露天掘りや坑内掘りなどがある
【平場掘り】…下に掘り下げる掘り方
手堀り時代の平場掘りの跡を見ると、石壁には横線の切りあとがある。
【垣根掘り】…横に掘っていく掘り方
伊豆長岡の青石職人が、明治末から大正初期に大谷に伝えた画期的な技術。
手堀り時代の垣根掘りの跡を見ると、石壁には縦線の切りあとがある。
昔は技術と手間が必要なために、平場掘りの3倍の工賃が支払われていた。
◎垣根掘りが画期的な技術である理由◎
大谷石の地層というのは、きれいな石の層と、きたない石の層(茶色の塊を多く含む部分)が、サンドウィッチ状に横の層になっています。
「平場掘り」の技術しかできないと、まずきたない石の層を取り除いて、その後きれいな石を採掘していたので、無駄な作業が多くコストも高かったのです。
そこに「垣根掘り」という技術が伝わり、きれいな石の層だけを層の傾きにそって横に掘り進めることができるようになりました。
きたない石の層は掘らずに残せるため、無駄な作業が減り採石コストも低く抑えることが出来るようになったというわけです。
そして現在は、コンクリートの普及や人件費の高騰で石の値段が上がり、石材産業は衰退していきました。昔100か所以上もあった採石場は今では7か所ほどになっています。
大谷石の採石場跡地は今どうなっている?
大谷石の地下採掘場跡地に大谷石資料館が作られています。
その資料館では、大谷町の採掘の歴史や当時採掘に使用していた道具を展示しています。
地下に降りていくと、ひんやりとして肌寒い巨大な地下空間があります。
採掘場跡の広さは2万㎡もあり、深さは平均30m。
いたるところの壁面につるはしで石を削った痕跡が残されていて、手堀りの跡と昭和34年頃に導入された機械で削ったあとと両方見ることができるようです。
また、地下採石場跡には雨水が溜まる場所があるので、大きな湖ができるのです!
水深は4mもあり梅雨や台風の時期は水深が深くなるんだとか。
船に乗って真っ暗な中をガイドのライトを頼りに地底湖クルーズに出かけるのも楽しそうです。
開催は不定期なようですが地底湖ツアーなんてものがあるようなので時々チェックして参加してみるのもいいかもしれませんね。
おわりに
かつては盛んだった大谷町の採掘作業は、時代の変化と共に今は衰退していますが、今でも町には大谷石の採掘で確かににぎわった痕跡が残されています。
平場掘りや垣根掘りによって、当時の人達が手彫りでおこなっていた大谷石の採掘を、大谷町に訪れると感じることができることでしょう。
約27mもある平和観音や高さ4mの大谷寺の本尊千手観音は今でも歴史的建造物として現存しています。自然の岩壁を手彫りで彫刻した観音様を見上げたら、きっと圧倒されてしまうことでしょう。
平和観音
— オンジ (@bukousannnknj2) November 8, 2022
大谷石を削出した綺麗な観音さんです。 pic.twitter.com/ezuXdu0EqM
採掘場跡地にある資料館で当時の様子を知ることができますし、地下にできる湖のクルージングもあるようなので、興味があれば大谷町を旅してみるのはいかがですか?
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